「役作り」って何から始めればいいの? テアトル演技講師・畠山真弥先生に聞く、自分と相手を受け入れる“ベースづくり”の方法

連載コラム

 総合芸能学院テアトルアカデミーに入学したら、どんな講義が受けられるの?

 そんな疑問にお答えするべく、この「テアトルロード」では、テアトルアカデミーが擁する一流講師陣の方々をお招きしてお話を伺う、講義連載をやっています。

 「ダンス」「演技」「歌唱」「YouTube」など様々な表現ジャンルがありますが、「演技」を担当する畠山真弥先生には、「まず身体から! もっと自分を好きになる体操」と題して、たくさんの役者さんに教えてきた、自分を魅力的に見せるための方法を教えてもらっています。

 初回は「滑舌」、第2回は「発声法」、そして第3〜6回では、畠山先生が演技の上達のために指導している「こんにゃく体操」の意義について伺ってきました。

 これまでは身体・心と対話するための方法について伺ってきましたが、最終回となる今回は「役作り」と「相手の演技を受け入れる技術」を伺っていきます。演技に限らず、オーディションや人間関係にも役立つお話かもしれません。それではさっそくいってみましょう!

※記事の内容は公開時点のものです

畠山真弥(はたけやま・しんや)イメージ写真

畠山真弥(はたけやま・しんや)

1964年生まれ。俳優。こんにゃく体操講師。

文学座付属演劇研究所入所後、タイムリーオフィスに所属。「仮面ライダークウガ」「徳川慶喜」「タイムスクープハンター」、舞台「冬物語」「リチャード3世」など多数出演。また、「こんにゃく体操」という身体訓練を故宮川睦子氏、故大沢喜代氏に師事し、現在様々なところで指導している。こんにゃく体操教室主宰、桜美林大学非常勤講師。著書:『疲れがスーッと消える!超脱力こんにゃく体操』(講談社)

「役作り」の基本的なやり方って?

ここまでは「身体を整える」「身体と対話する」ということが演技にとって重要である、というお話を伺ってきました。今回はそのベースを踏まえた上で、まずはよく言われる「役作り」というものを、畠山先生がふだんどういうふうにやっているのかを伺えればと思います。

それで言うと、少し前に、いわゆる「オネエ」の役をやったことがあったんですよ。

おお、それはなかなか難しそうです。畠山先生がふだん持っている「男性の身体」から少し離れた演技をしないといけないわけですよね。

そうですね。でも、キレイな「オネエ」の人になりたいなと思ったんです。オネエの方というと、すぐに思いつくのは「~かしら」「やだ!」といった口調ですけど、そういった表面的な喋り口調だけを真似しても、役の中身には入っていけないですよね。

ほうほう。

まずは「この人は何のために何をしに、この場面に出ていくんだろう」という「目的」を考えるんです。だから役のもうちょっと長い人生を考えて、「この人は、こんな出来事があったから、その結果としてこういうふうになりたくて、だからこの場面でこれをしに行くんだ」ということを考える、ということですね。

それが、まずは役作りの初歩になるんですね。

そうですね。もうひとつは「誰に向かって喋っているのか」を考えます。それは、その役のセリフを受ける相手役との関係性を考える、ということです。まずは、相手がお母さんなのか妹なのか、などですね。
あとは「怒ってる人が怒ってる人に喋るのか」というような、シーンでの心理的な関係性です。「助ける人→助けられる人」「好きな人→嫌ってる人」とか、そういった人物どうしの心理的な関係性で演じ方が決まってくるんですが、僕はそれを「居方(いかた)」と言っています。

居方、ですか。

たとえば好きな人を前にしているのであれば、「好きな人の前だから緊張している」とか、「好きな人の前だからかっこよく見せようとして、わざとこんな風にしてるのか」とかってことですね。

「居方」を考えるにはこんなふうに、自分でいろいろ「こんな感じかな?」とポーズを取ってみるのもよいのだそう。なおこの写真は、「オネエの役の場合」です。

なるほど。

そこにどんなふうに座っているのか、立っているのかを決めると、呼吸が変わってくるというか、決まってくるんですよね。

おお、またも「呼吸」ですか。

そう、呼吸です。これは説明だけだとちょっとわかりにくいので、ちょっと動画でやってみましょうか。

お願いします!

なるほど、呼吸というのはそういうことなんですね。

「そこにどんなふうに座っているのか、立っているのか」を決めると、ちょっと呼吸が変わったりして、そうすると場面がちょっと動いたりしますね。
そして実際に他の役の人と演じてみると、一人では見つからなかったことが突発的に閃いたり、新しい関係性が生まれたりして、場面ができあがっていく、という感じですね。

家での準備と、現場での対応力

もちろん、家で一人で本(=台本のこと)を読んで、考えておくことは大事なんです。
でも現場でそれだけをやろうとすると、相手役の出方が想定と違ったりして、「こうじゃない!」「俺はこう言ったらこう動くはずだったのに」「失敗した」……というふうになってしまいます。

準備していくのはいいけれども、それに囚われすぎてしまうのもよくないんですね。

そうですね。家で下ごしらえして準備して、現場に行くと、思いもしなかったことが、いいアクシデントとして生まれて、生きた場面ができていくんですね。
それで、終わってから「自分の役はこういう役なのかな」ということが結果として見えてくる。舞台だと、長い稽古期間があるので、「今日はこうだったな」というのが翌日、また翌日と繋がっていく良さはありますね。

家で本読みをするのは、科学変化を起こすための準備をする、といったイメージなんでしょうか。

そういう感じですね。家でセリフを覚えていくのはもちろん大事です。セリフの準備が足りていないと、ちゃんとセリフを扱えなくてそっちに気持ちを支配されてしまって、失敗しちゃいますからね。でも、覚えていくのは大事だけど、あんまり「このセリフはこうだ」っていう解釈を決めすぎない、ってことですね。

役やセリフの解釈のパターンを複数考えていくというのは、このあいだ小林星蘭さんにインタビューしたときも、小林さんがおっしゃっていました。(天才子役から声優への挑戦、そして“SNSとの向き合い方”まで。小林星蘭に聞く、芸能生活のこれまでとこれから

どんなふうにも対応できるようにしておくのは大事ですね。自分が「おはよう」というセリフを言ったら相手はこんなふうに「おはよう」って言ってくるだろうという予想をしても、大体その予想は外れますからね。
そこで思っていたのと違う「おはよう」というセリフが返ってくると、その後のセリフを自分の練習したとおりにやろうとしても、どんどんチグハグに噛み合わなくなっていってしまいます。

お話を伺っていて、「受け入れる技術」のようなものが必要な気がしました。しかしれそって、どうやって身につけていくんでしょう? 実は演技だけでなく、人間関係でもすごく重要なように感じるのですけれど。

そうですね、自分がセリフを喋る原因や理由を、「相手から取る」というイメージですかね。アメリカの古い演出家でサンフォード・マイズナーという人がいるんですが、彼が「マイズナーテクニック」というものを開発しているんです。
それは要は、自分から発信する=自己発信ではなくて、衝動を起こすものを相手から取ってくる、というものです。

「相手から取ってくる」とは……?

なるほど!? それは武道の訓練のような……?

相手が何を出しているのか。「イライラしてるんだな」とか「のんびりしてるんだな」とか、「早く帰りたがってるんだな」とか、「昨日のことを怒ってるんだな」とか、相手が何を考えながらそのセリフを喋っているのかを、相手から見つけるというものですね。
たとえば、お互いに「黒い服を着ている」「黒い服を着ている!」というセリフばっかり言うわけですよ。で、だんだん「しつこいな」と思ってイライラしてくる。アメリカ人どうしでそれをやると最後は「フ◯◯ク、ユー!」で終わるらしいんです(笑)。

なんと(笑)。

それで、終わった瞬間に演出家が俳優たちに「どうだった?」って聞くわけです。そうやって俳優に「あのあたりのタイミングで自分の気持ちがこう怒っていったのがわかって、相手が宥めるようにしてきたから、その姿を見てまた怒っちゃって……」ということを冷静に振り返らせてみる。そういうことをやることによって、だんだんいい演技につながっていくと。

なるほど。同じセリフをお互いに言うことで、セリフの字面に囚われずに、掛け合いのなかで自分の感情がどういうふうに変化していったのかを見るようにするわけですね。

前に出る前に、まず「相手を感じる」こと

あとは、いま僕は「即興」をテーマにしたレッスンをやっているんです。そこで基本中の基本になるのは「相手を否定しない」ということなんですね。

おお、それはどういうことなんでしょう?

相手が言ったことを「いや、それは違うよ」と言ってしまうと話が転がっていかなくて、止まってしまうんです。だから「あ、そうだね」「そうだったっけ」といふうに、とにかく相手に乗っかっていく。これが即興演技の基本ですね。

相手の言ったことから引き出していくというのは、自分の身体・心と対話するということ、そして相手を感じ取るとることを、鋭敏にやっていく必要がありそうですね。

そうですね。まずは自分の声を聞くことができないと、相手の声を聞くことができないかなとは思います。

結局、「俺が俺が」というふうになっていると、相手のことを受け入れるのも難しい。相手から聞いて、それが自分の中に響いて、そこで感じることなのでしょうか。

芸能の世界だと、「前へ出ろ、前へ出ろ」ということが大事だと思っている人は多いですね。でも……。

たしかに芸能の世界というと、とにかく「自己主張」が大事なのではないかと思ってしまいます。でも、そうではない?

そういうわけではない、と。

そういうわけではないですね。無理なく自分で存在していれば、それの方が勝手に出ていける。ちょっときつい言葉ですけど、「弱い犬ほど吠える」ということもありますよね。キャンキャンキャンキャンと自分が出ていくと、かえって悪目立ちして、逆に目立たなくなってしまう、ということはあると思います。
自分で自分を信用できなかったりしていると、つい前に出ていきたくなっちゃうんですよね。だから、自分を持っていればいいんだろうなとは思います。

たとえばオーディションだけでなく、就職活動の面接とかって、なんとなく焦っている人は、客観的に面接官の側から見たときに、「うーん」と思ってしまうところはあるかなと思います。
芸能の世界でも、「私、芸能界でちゃんと成功したい!」という強い気持ちは必要かもしれないですけれど、それが逆に見る側に「うーん」と感じさせてしまうところはあるかもしれません。

そうですよね。

面接も演技もそうかもしれませんが、「人間と人間の関係」が面白いと、いい時間だったというふうに思えそうです。

演劇って、「セリフを聞いてストーリーを追っていく」ということが楽しいのではなくて、ストーリーの中で、たとえばある男の人とある女の人が、最初は全然知らない仲だったけど、喧嘩したり仲良くなったり、さらにいろんな人が関わってきて、そこで生まれる「人と人」の感情のもつれあいだったりを見て、そこに自分を当てはめたりして楽しんでるんじゃないかって思うんですね。

それを表現するためには、ここまでにお話しいただいたように、こんにゃく体操だったりで自分の身体・心と対話しておくことがベースとしてある、ということでしょうか。

そうですね。余計な力が入らないような表現体を作っておくと、スッと入っていきやすいですね。

やっぱり、そういう表現体を作っておかないと、なかなか入っていけないものでしょうか。

これはね、ジムでトレーニングしたり、マッサージに行ったりするというのも、そういう余計な、滞ったところを無くすためなんだと思うんですよね。素直に自分の体が反応してくれるように、という。
その反応というのは文字通り筋肉的な部分でもあったりします。そういうところに滞りがないほうが、自由に心のままに、体が動いていくんじゃないかなと思いますね。

ここまでお話を伺ってきて、演技をする上で、いやそれだけでなく日常生活や仕事をしていくうえで、身体・心と対話することの重要性がよくわかりました。畠山先生、ありがとうございました!

 さて、これまで全7回にわたって、演技講師の畠山先生に、演技と身体・心の関係について伺ってきましたが、この連載はこれにて最終回です。

 演技というと非常に特殊な、限られた人のためのもののように感じていましたが、取材を通じて、「演技」を通じたモノの考え方が、人間関係、コミュニケーション、仕事や生活にまで、非常に深くつながっていることがよくわかりました。

 みなさんもぜひ、自分の身体・心と対話することから始めてみるのはいかがでしょうか。そして、是非これまでの畠山先生の講義もおさらいしてみてください。それではまた!

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(文・取材・編集=テアトルロード編集部/撮影=荒川潤)