「飽きられたら、そこで試合終了だよ」テアトルで演技講師を務める俳優・脇知弘が語る、芸能界を生き抜くための“現場力”

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 このテアトルロードでは、「芸能の仕事ってどういうもの?」「芸能界ってどんなところ?」という疑問に答えるべく、さまざまな記事を配信してきました。「アクション俳優」の仕事について教えてもらったり芸能界でのブレイクを経験したみなさんにお話を聞いたり……。

 そんななかで今回は、『池袋ウエストゲートパーク』や『ごくせん』など数多くの有名作品に出演してきた俳優・脇知弘さんに取材してきました!

 現在はテアトルアカデミーで演技講師も務められている脇さん。どのようにして芸能界に入ったのか、『ごくせん』以降に自身のなかで起きた変化、テアトルで講師を担当するなかで学んだこと、芸能界と向き合ううえで考えておきたいこと……などなどをじっくり聞いてきました。

※記事の内容は公開時点のものです

脇知弘(わき・ともひろ)

1980年神奈川県生まれ。2000年、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』のワッキー役としてデビューし、02年、ドラマ『ごくせん』で人気を博す。現在はテアトルアカデミーで演技講師も務めている。

欽ちゃんの事務所と間違えてオーディションへ

今回は、テレビドラマ『ごくせん』のクマ役などで知られる脇知弘さんにお話をうかがいます。脇さん、よろしくお願いします!

押忍! よろしくお願いします!

脇さんといえばやはり「クマ」のイメージが強いですが……世間のみなさんからすると、いま何をしているのかが気になっているのではないか、と思うのです。

正直なところ、仕事の量はいちばん多かった時期に比べると半分以下ですね。

……何か、申し訳ありません。

いえいえ。でも20年前のドラマをいまだに覚えてもらってるのは、正直ありがたいですよ。テアトルで生徒のみんなに伝えているのは、「売れるのは簡単だけど、そこからが大変なんですよ」ということ。キャラクターのインパクトで売れたとしても、やっぱり飽きられたらダメですから。

ありがとうございます。ではさっそく、芸能界に入るまでのお話をお聞きしたいですのですが、脇さんはやはり小さい頃から俳優になりたいと思っていたんですか?

いえ、そういう気持ちはまったくありませんでした。

「そもそも俳優になろうと思っていなかった」と、出鼻から企画が崩壊しそうなお話が飛び出しました。

……そ、そうなんですか。

小学校から剣道・柔道をやっていて、武道一筋だったんです。それからはプロレスと、『ボキャブラ天国(※1)』がきっかけでお笑いにハマってました。爆笑問題さんやTake2さんが好きで、高校時代はお笑い芸人になりたいと思っていて。

※1 ボキャブラ天国:フジテレビ系列で放送されていたお笑い番組。爆笑問題、ネプチューン、ロンドンブーツ1号2号、海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)など数々のお笑いスターを輩出し、当時の若者・子どものあいだでは大人気の番組だった。

90年代後半の関東地方は、お笑いといえば『ボキャブラ』という時代でしたもんね。

それで友だちをつかまえて「高校を卒業したら吉本に入ろうぜ!」「おー、いいね!」と言い合っていました。「役者は台本を覚えないといけないから難しいけど、お笑いならできるだろう」と、すごく甘く考えていたんです。今そういう若いやつを見かけたら、「いや、コントや漫才にも台本はあるし、お笑い芸人のみなさんはめちゃくちゃ芝居うまいからな!」と言ってやりたい(笑)。

はい(苦笑)。

高校の終わりに大学受験も一応したんですが、順当に落ちて、「これで晴れて芸人を目指すんだ!」と思って、半分喜びながらその友だちに電話したら、「JRに就職した」と言われてしまい、「なぬ!?」となりました。

何か、「お笑い芸人を目指してる」と言ってる男子高校生にありがちな展開な気が……(笑)。二人のあいだに実は温度差があったんですね。

そうなんですよ。「なんだよ〜!」と思いながら、やることもないし、どうしようかってところで、親が新聞の広告を見て「ここを受けてみたらいいんじゃない?」って教えてくれたのがテアトルアカデミーでした。当時はテアトルグループの直系プロダクションが浅井プロダクション(現:アットプロダクション)という名前だったので、「欽ちゃんの事務所ならいいじゃない!」と。

萩本欽一さんの事務所って、浅井企画さんですよね。たしかに名前は似てますが……。人生を左右する大きな勘違いだったのでは(笑)。

そのまま勘違いに気づかずにオーディションを受けたら受かってしまった。一応ピン芸人にはなろうと思っていたので、なにかのきっかけになればいいかなと思って、テアトルに入りました。

入学から半年で『池袋ウエストゲートパーク』に出演

その後テアトルに入って、求めていたチャンスは巡ってきたんでしょうか?

それが、お笑い芸人ではなく俳優としてのチャンスがわりと早めに来たんですよ。半年くらい普通にレッスンを受けていたら、『池袋ウエストゲートパーク(※2)』(以下『IWGP』)のオーディションを受けることになって、2次オーディションまでサクサク通っちゃって。

▲池袋ウエストゲートパーク。画像はParaviより。

※2 『池袋ウエストゲートパーク(IWGP)』:石田衣良の原作小説を、宮藤官九郎が脚本、堤幸彦が演出を担当し2000年にTBS系で放送され人気を博したテレビドラマ。長瀬智也演じる主人公マコトと、池袋を拠点に活動するカラーギャング「Gボーイズ」の面々が、街で起こるさまざまなトラブルを解決していくというお話。長瀬の脇を固める窪塚洋介、加藤あいだけでなく、当時はまだ知名度がそれほど高くなかった山下智久、佐藤隆太、妻夫木聡なども出演していた。なおカラーギャングとは、暴走族文化衰退後の1990年代後半〜2000年代前半にかけて生まれた少年たちの非行集団のこと。メンバーたちがチームカラーを一つ決め、お揃いでその色のアイテムを身につけていた。ドラマでのGボーイズのチームカラーはイエロー。

『IWGP』といえば、日本ドラマ史に残る名作ですよね。脇さんはそのなかでも主人公マコトと親しいカラーギャング集団「Gボーイズ」のワッキーとして登場し、鮮烈なインパクトを残したわけですが、そもそも『IWGP』ってけっこう大きな企画じゃないですか。
でも脇さんは、当時まだレッスンも少ししか受けていない状態ですよね? それでオーディションに受かったんですか?

芝居の「し」の字もわからない状態でしたね。とりあえず新しいドラマのオーディションってことで会場に行くわけですけど、会場にはなぜか悪そうなやつらがいっぱいいた。
でも、そのなかでもたぶん僕が一番体がでかかったんです。幼稚園から肥満児と呼ばれ、武道をやってきたので体格は良かった。格好も、坊主頭でネックレスをつけて、ジャージ上下でした。当時着てたジャージ、KANI(カナイ)ってやつだったんですけど、わかります?

ええ、当時やんちゃな人たちのあいだで流行っていたちょっとキレイめなジャージですよね。というか、オーディションに来たときからすでにGボーイズそのものじゃないですか(笑)。

いやいや見た目だけで、中身はいたってまじめな青年でしたよ。

この体格、坊主頭、ネックレス、ジャージ上下で「いたってまじめな青年だった」と語る脇さん。まずは、本人の言葉を信じたいと思います。

オーディションでは「セリフを読んでください」って言われたので思い切りよくやってみたんです。そしたらなぜか監督の堤さんたちが大爆笑してました。自分では「そんなに笑う!?」って思ったんですけど。そこからトントン拍子に決まりました。

堤監督たちがイメージしていたGボーイズを、オーディションの段階で脇さんが具現化しすぎていたのでしょうか(笑)。

でも、ドラマづくりの流れも全然よくわかってなかったですね。「顔合わせがあるよ」ってことを聞いてとりあえず行ってみたら、長瀬さんや加藤さんたちがいて、ちょっと興奮してたら台本の本読みが始まったから、めっちゃ緊張しましたね。

ほぼ初心者のまま、いきなり有名人たちの間に放り込まれたんですね(笑)。『IWGP』の撮影現場の雰囲気はいかがでしたか?

『IWGP』は池袋でのオールロケだったんです。当時の池袋は撮影するにあたって、やっぱりいろいろと挨拶しなければいけない方々も多かったみたいで、でも、すでにスタッフさんたちが話を通してくれていたようでした。で、撮影をやっていると本物のカラーギャングの皆さんがやってきて、他の人から撮影を邪魔されないように警備してくれたりしました。

いい話ですね(笑)。

撮影現場自体はすごく面白くて、カメラが回ってないところでもみなさんの関係性は『IWGP』そのものでした。長瀬さんもマコトだったし、窪塚さんもキングそのものでしたね。

窪塚さんが演じていたキングって、なかなかクセのあるキャラですよね。ふわふわした感じなのに、悪いヤツらを締めているという。

当時の窪塚さんって『GTO』(フジテレビ系、1998年放送)や『リップスティック』(フジテレビ系、1999年放送)といったドラマに出ていて、そこまでヤンキーっぽいイメージは持っていなかったんです。でも、いざ始まったらまさにキングそのものだったので、「やっぱり役者ってすごいな」とそのとき実感しました。
 
あと、この作品では初めてアクションも経験して、すごく面白いと感じました。当てていないけど当たっているように見える動きですよね。長瀬さんが誰かを殴るシーンでも、「うわ、いまの当たったんじゃない?」って見える。すごく面白いし、自分がやるときには緊張しましたね。

『IWGP』の経験で、脇さんのその後には何か影響ありましたか?

話が進むごとに僕のセリフも少しずつ増えていったんです。そうして慣れていくうちに、ドラマづくりって、たくさんのスタッフさん・俳優さんたちがワンカットごとにすごいパワーを込めてやってるんだなと、改めて感じました。このあたりで「芸人ではなく、役者をやってみたい」と、テアトルのレッスンをまじめに受けるモードに切り替わっていきました。

ハードだった「睦塾」での演技指導

ご自身がテアトルでレッスンを受けていた時代を振り返って、印象に残っているレッスンはありますか?

俳優の睦五朗さんが担当していた選抜クラス「睦塾」では約1年間、かなりしごかれました。睦先生は悪代官だったりとか、主に悪役をやってる方なので見た感じも怖いし、間違ったら怒鳴られる。けちょんけちょんに言われてみんな泣いちゃうし、生徒がどんどん辞めていっちゃう、みたいな。

睦さんといえばまさにレジェンドですね。そしてハードなレッスンだ……!

ハードだった睦塾時代を語る脇さん。チャンスに恵まれて次々ステップアップしていったけれど、その裏側で「下積み」の期間もあったんですね。

当時、舞台に苦手意識を持っていたんです。『IWGP』をやって「テレビはやり直しがきくからなんとかなる」と思っていた一方で、舞台はセリフを全部覚えるのは無理だなと思っていて。でも睦塾の最後には舞台作品をやるので、そこで初めて舞台の感覚を味わいました。ドラマの撮影と違って一発勝負だから、出るタイミングを計るのがいちばん緊張しましたね。その結果、やっぱ自分にはできないなと。

映像と舞台は、やっぱり別物なんですね。

そうですね。ただ、睦塾は本当にいい経験でした。今、いざ芝居をやっていても、本気でやっているはずが、どこかで“こなしている”自分がいるときもある。これじゃダメだと思ったとき、睦塾で滑舌や発声ですごく怒られた経験を思い出して、「ひとつひとつをしっかり意識していかなきゃな」と思うと同時に、睦先生の怖い顔を思い出して、気を引き締めるんです。

そこが、役者としての基礎を固めた時期だったと。

そうですね。そこからまたもう一度、睦先生のクラスを受講しようと思った時期、『さよなら、小津先生(※3)』の出演が決まったので、理由を説明して外してもらおうと話しに行ったら、睦先生は「それはいいことだよ。そのドラマが終わって、またおれが必要になったらまた入ってこい」と言ってくださって、快く送り出してもらいました。

※3 『さよなら、小津先生』:2001年にフジテレビ系で放送されたテレビドラマ。不正に関わったことで職を失い臨時教師となった元エリート銀行マンの小津(田村正和)と、赴任先の高校の生徒たちの交流を描いた学園ドラマ。若手時代の森山未來や瑛太が出演していた。脇知弘もレギュラーの生徒の一人として出演。

きっちり指導を受けた後の現場では、成長を感じるのでしょうか。

僕は最初、芝居をほとんど知らないまま現場に行ってしまったからわからなかったけど、レッスンをしたことで少し自信を持てたんですよ。 やっぱり自信がない人の芝居って見てられないんですよね。
逆に、芝居ができなかろうが、自信さえ持っていればなんとかなる部分はある。だからレッスンで大事なのは、テクニックというよりもまず「自信をつけること」かな、と思ってます。

『ごくせん』とバラエティへの進出、そして反省

脇さんといえばやはり『ごくせん(※4)』の印象が強いですが、どういった経緯で出演が決まったんですか?

『小津先生』を見ていたプロデューサーが『ごくせん』に引っ張ってくれたんです。『ごくせん』の原作マンガを読んで役者を決めるときに、誰をクマにしようかと悩んでたんでしょうね。そこで僕を見たときに「あいつがクマだ!」ということで決まったみたいです。一説によると、主演の仲間由紀恵さんよりも僕のほうが先に決まったとかなんとか(笑)。

テレビドラマ『ごくせん』2005年版のDVD-BOX。(画像はAmazonより)

※4 『ごくせん』:森本梢子の漫画『ごくせん』が原作、仲間由紀恵主演で日本テレビ系で放映されたテレビドラマ。任侠一家の娘である熱血高校教師「ヤンクミ」が、不良少年たちばかりの学校に着任し、騒動を巻き起こしながら周囲を少しずつ変えていく姿を描いた。2002年の第1シリーズは松本潤・小栗旬、2005年の第2シリーズでは亀梨和也・赤西仁らが登場。なお、脇知弘はすべてのシリーズに出演している。

クマのキャラは強烈でしたもんね。

冒頭でも言いましたが、20年経ってもいまだに「あ、クマだ!」って言われますから、本当にありがたいことです。

この頃には、徐々に撮影現場の流れにも慣れていったと思うのですが、その実感はありましたか?

慣れてきたことで、むしろ緊張感は増した気がします。『ごくせん』では『IWGP』で共演した小栗旬君と一緒だったので、お互いに久しぶり!って感じでした。現場もめちゃくちゃ面白くて、まるで2回目の高校生活を送ったような、濃厚な3ヶ月でした。

脇さんは『ごくせん』以降は、ドラマに加えてバラエティ番組にも出ていましたよね。

『ごくせん』の撮影中にいつもメイキングのためにカメラを持ってた人がいて、その人と仲良くなってしゃべってるうちに「知り合いに『踊る!さんま御殿!!』のプロデューサーがいる」っていうから、「出たいです!」って言ったんです。そしたら1週間後くらいに本当に出演が決まって、そこから「バラエティもやるんだな」と思われたのか、どんどん増えていきました。

いきなり『さんま御殿!!』って……バラエティのトップオブトップじゃないですか。『IWGP』も含め、ハイレベルな現場から入る運命なんですかね。

でも、話を振られてもそっけないことしか返せなかったりして、自分の力不足を毎回感じましたね……。

バラエティの現場で必要な能力って、どんなことなんですか?

頭の回転ですね。話が上手な人って、ひとつの話を広げていくじゃないですか。普通の人はそれができずに単発で終わっちゃうんです。さんまさんは司会なのでうまく広げてくれるんですけど、違う意味で『さんま御殿!!』は気が抜けない。さんまさんがワーッとしゃべってるのを聞いてると、事前に決めた流れとは関係なく「お前、聞いてへんかったやろう」って感じで急にアドリブで話が振られるんですよ。どこで振られるかわからないから、全部集中して聞いて「いま振られたらこう答える」というのを瞬時に考えてしゃべらなきゃいけないんです。

田村正和伝説の数々

なるほど。様々な経験をしてきたなかで、役者として特に印象に残っている俳優さんについては、いかがでしょう。

ダントツで印象的だったのは……最近逝去された、田村正和さんですね。
田村さんの現場には専用の「正和チェア」があるって噂を聞いてたんですが、『小津先生』の現場では本当に置いてありました。正和さんはいつもそこに座ってじーっと現場を見てらっしゃったんです。現場にいる時間は朝9時から夜9時までと決まっていて、それを過ぎると強制的に撮影が止まり、正和さんはスッとお帰りになる。いろんな意味でスゴい役者というか、伝説ですよ。
 
あと、大事なシーンがスタッフさんのミスでNGになったとき、正和さんはニコニコしながらゆっくり歩いてきて、いきなり超スピードのハイキックをかますんです。あ、もちろん寸止めですよ。その動きの緩急がスゴいなと。

田村さん、かつては『眠狂四郎』などで殺陣もやっていらした方ですもんね。

共演したシーンでいうと、僕が正和さんの胸ぐらを掴んで倒すシーンがあったんです。緊張しすぎて何度かNGを出してしまって、やっと本番で成功したときにスタッフさんたちが拍手をしてくれて、正和さんも倒されたまま僕に向かってスッと手を出してくれたんです。「握手してくれるんだ……」と思って「ありがとうございます!」ってお礼を言ったら、「いや、起こしてくれ」と。

往時の田村正和さんとのエピソードを語る脇さん。思っていたのとちょっと違ったみたいです。

年齢を越えたリスペクトが生まれた瞬間の握手ではなかった(笑)。

演技の面でももちろん、その存在感は唯一無二でした。またどこかでご一緒できたらと思っていたので、とても残念ですね……。

プロレスは360度の観衆から見られる「演技」である

脇さんはそのあとプロレスにも出ていましたよね。「演技」と「プロレス」の関係についても伺いたいと思うんです。最初のほうで「子どものときからプロレス好きだった」というお話がありましたが、ハマったきっかけは何だったんですか?

親父がプロレス好きだったので、その影響ですね。子どものときは毎週末にレンタルビデオでプロレスのビデオを借りて見てました。ちょうどタイガーマスクの全盛期で、敵対するブラック・タイガーという覆面レスラーがいたんですが、親父が「実はお父さん、ブラックタイガーなんだよ」と言うんです。

お父さん、子どもを騙しに来ている(笑)。

「え、ブラックタイガーなの……?」と、ちょっと信じちゃってました。あと、当時はスタン・ハンセンが好きで、暴れん坊でどんなにやられても一発のラリアットで仕留めるのがカッコいいな〜と思ってましたね。

そこから、2008年からはリングの上でも活躍するようになりましたよね。

最初はバラエティ番組のダイエット企画で大仁田厚さんとご一緒したのがきっかけだったんです。プロレスが好きだと大仁田さんに伝えたら「じゃあお前、ダイエットに成功したら試合に出るか?」って聞かれて、そのあと1ヶ月半で30キロ落とすのに成功して、プロレスをやることになりました。実際にやってみると、役者としてもすごく勉強になりましたね。

それは、たとえばどんなことなんでしょう?

役者として立つ舞台って「前」からしか見られないですよね。でもプロレスって360度全方向から見られるので、まったく違う感覚なんです。技をかけられて痛がるアクションでも、「お客さんに対してどう見せるのか」「どこをどうやられて痛いのか」を意識して伝えて、かつお客さんのリアクションを見て聞いて、それに対するアドリブも随時入れていく必要があります。たとえばヒールとして出ていたら、盛り上がってブーイングが起こってきたら、さらに煽るために「もっと悪いことをしようかな」って瞬間的に考えたりするわけです。

演技とプロレスって全然違うものかと思ったら、そう言われると共通点がたくさんありますね。

なるほど、面白いですね! 一時期からは覆面レスラーとして戦っていましたよね。

2008年から2019年まで、けっこう長い期間やりましたね。ある時期からヒールをやりたいなと思ったんですけど、顔を出したままだと応援されてしまうんです。

たしかに、脇さんの場合はクマのイメージが強いからそうなってしまいそうですね。

だからマスクを被ってみようと思ったんです。やってみたらやっぱりヒール役は面白かった。やられっぷりが良くないといけないし、頭を使います。ドラマの現場で学んだことをプロレスに活かして、プロレスでの経験がまた芝居に役立つという、良い循環がつくれたと思います。

芝居は「間」と「感情」で作られる

ここからは演技論についても伺いたいと思います。脇さんはこれまで、役者としてレベルアップするためにどんなことに取り組んできたんでしょうか。

よく出る例かもしれないですけど、人間観察は意識してやっていました。たとえば交番のおまわりさん役をやるときは、交番の前でずっと見てたりします。

ちょっと不審者っぽくないですか(笑)。

いや、ただ立ってるだけですから、意外と大丈夫なんです。普段どんなことを話してるのかを知りたいから、少し話しかけてみたりもしますね。自分がやる役に近いなら実在の人でもいいし、ドラマや映画を意識して見てみるのでもいい。動きや雰囲気を掴むために、歩き方なんかもよく見ますね。セリフの練習をしているときも、そばに誰かがいたら「あれ、いま話しかけられた?」と勘違いさせてしまうくらい、自然な言い回しができるといいですよね。

なるほど。

セリフって“間”がとても重要なんです。例えばいまこうやってしゃべってますけど、話が一区切りしたところで、また誰かが「ここはどうなんですか?」って聞いてくる。この間がリアルさを作る。「間をどう作れるか」を意識できると、芝居の感覚が変わってくると思います。 たとえば日常生活で誰かが言い争いしていたら、その「間」を見るようにする。「なるほどな、こういうテンポでやるんだな」と。ただ、ケンカを止めるのがちょっと遅くなっちゃいます(笑)。

演技の勉強って、レッスンのときだけでなく日常生活のなかにも取り入れることができるんですね。

ケンカの仲裁は後回しにして、その瞬間の「間」に注目してみよう、ということなのですね(笑)。そういえば歌唱指導の亀田増美先生に歌のテクニックを聞いた取材でも、「歌う前に聞くことが大切」と言っていました(音痴を直すには「歌う」よりも「聞く」練習がだいじ!? 歌唱指導の亀田増美先生に「歌ウマ」になる第一歩を教えてもらいました)。演技でも、まずは「見て」「聞く」のが重要なんですね。

そうですね。なかでも「耳で感じる」ことが重要です。歌が上手い人って、芝居も上手なんですよ。高いキーが出せる分、言い回しのバリエーションも豊富。初めてなのに芝居ができる勘のいい人って、耳がいいのかもしれないな、と思っています。

脇さんはいろいろな経験をしながら現在ではテアトルで講師をされていますが、教える側に回ったきっかけは何だったんでしょう?

テアトルの方に「人に教えるのは勉強になるから、やってみたらどう?」と誘われて、2018年に最初にワークショップをやって、それからです。教えるのは苦手だと思っていましたが、やってみたらすごく面白いし自分にも勉強になるなと。
 
ただ、実際に講師をやり始めて迷ったのは、「自分の考えを押し付けていいんだろうか?」ということでした。「こうしろ」「こう動け」ってガチガチに押し付けてしまうと、頭も体も固くなって、いい演技につながらないんです。

だから僕のレッスンでは、「舞台は正面にお客さんがいるから、正面を向いてね」ぐらいしか言いません。そのかわり、台本の中で好きに動いてもらって、関係ないところでなんらかのセリフをアドリブで入れてもらいます。そうすると、それを受けた別の人がまた違うセリフを言う。そこで「感情」が変わってくる。芝居を一緒にやる相手によって、気持ちやしゃべる内容も間も、全然変わってくるんですね。

感情、ですか。

ええ、「感情」です。さっきも言ったように芝居って「間」が重要で、それに加えて「感情」でできあがるものだと思うんです。「こういうときはどんな感情になる?」「その気持ちに、これこれこういう気持ちをプラスして、こんな感情を出してみて」と、まずは感情の解像度を高くするような教え方をしています。

「間」だけでなく「感情」をどのように出していくか。

芝居の楽しさって、自分がやりたいことをやって、相手が受けてくれることでやりとりが面白くなっていくところにある。決まった流れをこなすのではなくて、生きたやりとりをした方が面白いし、考える力もつく。そうすると、見ているこっちも面白い芝居になります。

なるほど……。

だから発声がどうとかそういう部分は、僕の授業ではやらないんです。台本を一瞬パッと見たらすぐに回収して、「自分なりの言葉づかいでいいので、いま読んだ物語をやってみよう」と言うときもあります。実際にやってみると、きっちり読み込んで覚えるよりも自然な芝居になったりするんですよ。

面白い! でも脇さんの方法論って、やっぱり豊富な現場経験から来ているんですかね?

芸達者な人たちと一緒に芝居をすると、アドリブをバンバン入れて柔らかく返してくるんですね。自分は台本通りにしかできないので、それがすごく悔しかったし、恥ずかしいと感じたんです。『ごくせん』のときは先生役のみなさんがすごくて、特に生瀬勝久さんは本当に芸達者でした。そういう経験をした僕が授業をするなら、「対応力」や「アドリブ力」をテーマにしたらいいんじゃないかと思ったんです。

めちゃくちゃなるほどです。

だから、過去の現場で「もっとこうすればよかった」と後悔したことを生徒たちに伝えてるんですよ(笑)。生徒たちには、自分と同じ後悔をさせたくないですから。

同じ論理で、ゲーム感覚で『さんま御殿!!』をマネしてみるレッスンもやっています。お題を紙に書いてテーブルの上に置いてもらって、みんなで横並びになって、ひとりずつ司会をやっていく。

演技のレッスンで『さんま御殿!!』とは……?

実際にやってみると、どう話にオチをつけるのかが難しいんです。あれをやり続けるさんまさんは本当にスゴいし、授業では笑いが起きないにしても、きれいにまとめてほしい。

なるほど。収録でオチのない話をしてしまうと、オンエアでカットされてしまいますもんね。せっかくテレビに出たのに自分の露出も減るし、次に呼ばれにくくなってしまいそうです。

そうですね。だからこれができれば、カットされないような“使われるための喋り方”ができるというか、バラエティ番組でもある程度は対応できるようになると思います。こういう力をつけることも、芸能の世界では大事だと思うんですよ。

売れるのは簡単だけど、飽きられないのは難しい

自分が学べることもあると思って講師を引き受けたとのことでしたが、実際にやってみてどうでしたか。

やっぱり学べることは多いですね。たとえば、よく「◯◯は芝居ができてない」ってみんな言うけれど、“芝居ができない”ってどういうことだろう?って思うようになって。

たしかに、よく聞く言葉のわりに、しっかり説明できる人は少なそうです。

言葉のニュアンスが出せていないのか、そもそも声の大きさが足りていないのか。「セリフが棒読みだ」って言うけど、いざ「棒読みの芝居をしてください」って言われたら、意外とけっこう難しいんですよ。でも伝わったらなんぼだと思うので、別に下手でもいい。見た人の気持ちをどう動かすかを考えるためには、演じる側の気持ちが大切なんだ、と思って授業をやっています。

演技の本質はテクニックではなく、「演じる側の気持ち」なんですね。

面白いですね。現場で試行錯誤してきた脇さんならではの教え方だと思います。気持ちを作ったうえで、次に意識すべきことは何でしょうか。

その次は、動き方になりますね。例えばセリフがまったくないシーンもあるわけじゃないですか。その芝居ってすごく難しいんです。
 
例えば風呂から上がって体重計に乗るシーンがあるとしましょう。とりあえずやってみると、だいたいの人がスタスタ歩いてすぐに乗ってしまう。「風呂から上がって最初に何をする?」って考えると、まず体を拭きますよね。そういう細かいひとつひとつの行動に意味を持たせるにはどうするか、ということを教えています。

ありがとうございます。脇さんからこの場を借りて講師としてテアトルの在籍生たちに伝えたいことがあるとすると、どんなことでしょう?

やっぱり一人でもビッグな人が出てきてほしい。そのためには、唯一無二の存在感が必要です。見る人から飽きられない存在、例えば佐藤二朗さんなんかは、テストをやらずにすぐ本番をやるんです。いつもアドリブみたいなものだから、テストをやってもまったく同じことはしない……というか、できない。だからこそ、いざ本番が始まって、台本上ではそのシーンが終わっていたとしても、カットをかけずにしばらく見ていたくなる。そんな役者になってほしいですね。

仮に見た目がどれだけ良くても、イケメンなんて世の中にたくさんいるわけです。イケメンがイケメンの芝居をしたってつまらない。でもイケメンが佐藤二朗さんみたいな唯一無二の芝居をできたら面白いじゃないですか。そういう力をつけていってほしいです。

芝居、プロレス、バラエティ、講師と様々な舞台で活躍してきたいま、脇さんが今後やってみたいことはあるのでしょうか。

演出家に挑戦してみたいと思っています。いまちょうど舞台の台本を、できないなりに書いていて。講師をやって別の視点を得たこと、いろんな人の芝居を見たことで、別の世界を見てみたいと思うようになりました。自分が選んだ役者さんたちが、与えられた役を自分の中で作り上げてきてぶつけあう、そんなことをやってみたいですね。 

ゆくゆくはテアトルでオーディションをやって生徒さんたちを選び、一緒になにかできたらいいな、と思っています。講師になって改めてわかったんですけど、やっぱりみんな一人ひとりが本気で熱く頑張っているんですよね。だからこそ本当に売れてほしいし、一緒に頑張ってみたいと思っています。

最後に、芸能界で生き残るうえで最も必要な要素とはなんでしょう?

最初にも言いましたが、飽きられないことですね。どんなに見た目がよくても、芝居が上手でも、見た目が特徴的でも、「飽きられたらそこで試合終了」です。僕も一時期は太った金髪でキャラを確立しましたが、そういう需要はどこかでなくなります。飽きられないという意味では、どんな役でも適応できる役者は強いと思うので、いつも柔軟にやっていってほしいと思います。

一度売れるのは簡単(笑)。でも本当に大変なのはそこから。僕もまだまだこれからです。生徒のみんなと一緒に精進していきますよ。

 というわけで今回は、俳優でテアトルアカデミーで講師も務める脇知弘さんに、これまでの来歴や講師としての演技論について伺ってきました。若くして数々のトップレベルの現場を経験してきた脇さんだからこそのお話を、たくさん聞けたと思います。ここで出た「現場力」のお話を参考に、一人でも多くのスターが出てきてくれたらと願います。

 さて、この「テアトルロード」では普段はなかなか知る機会のない「芸能」の世界のことや、「表現力」にまつわるノウハウ、そしてテアトルアカデミーの教育に関する情報を発信しています。よろしければまた見に来ていただければ幸いです!

▼よろしければこちらの記事もどうぞ。どれも自信作です!

取材・編集=テアトルロード編集部/構成=森祐介/撮影=荒川潤