テアトルロード編集部では、テアトルアカデミーを卒業した元在籍生に話を聞きに行く「卒業生の今」という連載企画を行っています。
初回は、テアトル卒業生のママ友3名の座談会をお届けしました(芸能界をめざした少女達の“その後”。元在籍生のママ友3人が語るテアトルで得た「最高の宝物」)が、今回はその第二弾。
登場するのは、2004年より放映されて一世を風靡したクレハの商品「NEWクレラップ」のCMに登場していた、あの姉妹の二人。
そして、人気雑誌「ラブベリー」の読者モデルなどで人気になり、前回の座談会でもお名前が登場していた人気タレント、河辺千恵子さん。
そんな3人ですが、なんと現在は芸能界から一歩引いた場所で、ピラティスインストラクター、会社員、学生としての生活を送っているとのこと。
芸能界の中でも、相当に華やかな経歴を生きてきた彼女たちが、いまどんな事を考え、どんな日々を送っているのか。そして、テアトルで学んだことは、どんな風に活かされているのか。
それぞれの日々を過ごす彼女たちに、当時の華やかな記憶を振り返り、そこで得た経験が「卒業後」の人生に、どんなふうに影響を与えているのかを聞きました。
※記事の内容は公開時点のものです
子役・モデルとして活躍した3人、今はどんなことをしてるの?
今日は、知っている読者もかなり多いであろう、3人に来ていただきました。
河辺千恵子(かわべ・ちえこ)です。
テアトルには19歳までいて、テレビドラマやミュージカルに出演したり、モデルの仕事をしたりしていました。今はピラティスインストラクターとして活動しています。
はい。河辺さんのお名前はご存じの方も多いと思うんです。
ただ、この現在の経歴は謎なので、この後に聞いていきます(笑)。
外島千夏(とじま・ちなつ)です。私は、一般企業に勤めていて、新卒の2年目です。テアトルは中学受験の際にやめてしまい、その後は普通の人生を送っています。もう実は12年くらい、芸能界からは遠ざかっています。
工藤あかり(くどう・あかり)です。私は慶應義塾大学の4年生で、春からメディア系の企業に就職する予定です。
ちょうど高校受験の頃に、今の大学の付属高校に入学して、テアトルをやめました。その後は……学業が好きだったのもあって、部活も生徒会活動も行事も、全部やりました。かなりエンジョイしていたと思います。
えっ! 慶應の付属高校って、めちゃくちゃ難関なのでは。
タレント活動をしながら、合格したんですか!?
どうしても入りたい学校だったんです。かなり頑張りました。勉強は、やればやっただけ確実に成果が返ってくるのが、もう楽しくて……。
まあ、今はそうでもないんですけど(笑)。
きっちり都内の女子大生の生活を満喫してるということですね(笑)。
「クレラップ姉妹」はどのようにして生まれた?
さて、さっそくですが……外島さんと工藤さんは、実はかつて話題になったCM「クレラップ姉妹」の二人なんですよね!
はい、そうです。
どのくらいの期間続けていたんですか?
オーディションを受けたのは小学1年生の頃でした。最初は姉妹ではなく一人のCMだったんですよ。
そのあと私が、妹役として加わったんです。オーディションを受けた頃は小学1年生で、そのあと姉役になって、撮影自体は小学5年生まで、年2回ぐらいありましたね。
小学生時代が、そのままCMの思い出と重なる感じですよね。
オーディションってどんな感じなのですか?
私は当時、お笑い芸人のモノマネが好きで……レギュラーさんの「あるある探検隊」を真似したり、気絶するネタをしたりしました。あの頃は平気で、そういうのができたんですね。そうしたら、監督さんが面白い方で、喜んでくれました。
私はいきなり会場で「歌って」って言われて、特に課題曲もなかったので、お母さんが好きだった中山美穂さんの「世界中の誰よりきっと」を歌ったんですよ。
アニメ『SLAM DUNK』のEDテーマ「世界が終るまでは…」を歌ったWANDSとのコラボレーション曲ですね。
個人的には大好きな曲なんですけど……世代的に知ってる曲なの? 子どもが突然そんな曲をアカペラで歌ったら、びっくりするよね(笑)。
母が聴いているうちに覚えちゃったんですね。でも途中で声がかれてしまって、もう顔が真っ赤になってしまいました。それが逆に監督さんたちには良かったそうです。おかっぱ頭のかつらで走らされたりもしましたね。
ユニークさを大事にした選考だったんですね!
「大ヒット」で生活は変わったのか
正直なところ、オーディションや最初の収録の頃って、ヒットすると思いましたか?
「大ヒット」に気づく瞬間って、どういう感じなのかな……と気になるんです。
当時は、もう目の前のことをこなすのに夢中です。家で実際にCMが流れたときも、まだ「おー」という感じです。
(笑)
こうなったんだー、みたいな感じですね。
でも、学校へ行くと「クルリちゃんだー」とか言われませんでした?
あとは、親戚が増えたりとか(笑)。
なんとなく周囲がざわついてきた感じはありました。
ただ、家族からは、「学校で何を言われても、笑顔で『ありがとう』って言いなさい」と躾けられていました。
だいじー!
二人とも冷静だったんですね。
お友達はちょっと多くなりましたね。
あそこまでの人気になって、CMが2回目、3回目と続いていくと、現場ってどういう雰囲気になっていくんでしょうか。
セットが、どんどん豪華になりました。
いつも同じ人が集まって撮影していたんですが、ゲストが来たときは華やかでした。例えば木村カエラさんが来てくれたときは「おお!」って感じで、迂闊に近づけませんでした。
この時期って会うたびに「また身長伸びて……」となって、親戚が集まるイベントみたいになりますよね。
カツラあわせとかも、何回も衣装に合わせて替えていった覚えがあります。
あと、スーパーでも「クレラップ以外のラップは選ばない」とか、子どもながらに意識はしてました?
はい。ラップの切り方をすごく練習して、「もうこれでしか切れない」くらいに当時は思ってました。
練習用のクレラップを使いきれないくらい渡されて、同じお皿に何枚も重ねて繰り返し練習するんですね(笑)。
お母さん目線だと、使いたい放題で最高だね(笑)。
でも、すごく大切な思い出ではあるのですが、実はお仕事が増えたことくらいしか、実感が湧かなかったですね。
私も「お仕事を頂いている立場」でしかない、と常に思ってました。
ただ、でんぐり返しで木村カエラさんになってしまうネタのときは、体育ででんぐり返しはやりづらかったです。
たしかに(笑)。周囲には、どう振る舞いました?
「年に1回しか変身できない」と返してました(笑)。でも、そういう感じで楽しく友達とコミュニケーションを取れていました。私の中では、タレント活動はピアノのような習い事みたいな感じでした。当時は与えられた役割を一生懸命こなすのに夢中でしたね。
安室奈美恵さん、沖縄アクターズスクールに憧れた少女時代。だけど……?
河辺さんも、テアトル在籍時に色々な活動をされていますよね。
私は8歳のときに入学したんですけど、小室ファミリーの安室奈美恵さんみたいになりたかったんです。
二人は……「Body Feels EXIT」とか知ってる?
知ってます。
おお、よかった(笑)。で、私は安室ちゃんの出身の「沖縄アクターズスクール」に通いたくて、たまたま”5日間無料体験”に応募したら、なんと受かったんです。そこで三浦大知さんや山田優さんや満島ひかりさんたちと一緒に教わる、本当に楽しい5日間を過ごせたんですね。
豪華メンバーの合宿ですね。
もう東京に戻ってきたら、「絶対に芸能界に入ろう」ですよ。そうしたら、おばあちゃんが事務所選びで、なぜか劇団四季かテアトルアカデミーの二択で迫ってきた。私は「沖縄アクターズスクールに行きたい」と言ってるのに(笑)。
あらら(苦笑)。
結果的にテアトルとご縁があったのですが、当時は新宿の小さなビルでわりとアットホームな空間でした。私もまだ幼かったので入ったらすぐ安室ちゃんに近づけるかと勘違いしていたのですが(笑)、基礎的な演技とダンスの勉強をするところからスタートしました。
テアトルは、まず最初は演技やダンスから入るんですよね。
幸い徐々にドラマのお仕事をいただくようになって、それでもまだ「いつ歌って踊れるようになるんだろう!?」と夢見ていましたね(笑)。でも撮影現場に行くと本当に楽しい思い出ができていくんです。どんどん演技の世界に魅了されていきました。
「セーラーマーキュリー」から「ラブベリー」へ
ちなみに、どんなドラマに出ていたんですか?
エキストラのお仕事を経て、初めて役をいただいたのが『燃えろ!!ロボコン』でした。
そこで大きめの役を頂いたのがキッカケで、中学校の1年生のときに『美少女戦士セーラームーン』のミュージカルで、セーラーマーキュリーの役をもらえたんです。そこから、ミュージカルの仕事も増えていきました。
かなりの売れっ子の経歴ですよね。
転換点になったのは、『ラブベリー』というローティーンファッション雑誌のモデルのお仕事でした。準備号からお手伝いさせていただいて、創刊号からモデルをやりました。
おそらく、河辺さんは『ラブベリー』のイメージが強いと思うのですが、いま聞いているとモデルの仕事はこれが初めてですか?
はい。セーラームーンの仕事やドラマの現場で、スチール撮影でのポージングが自然と身についたように思います。
ここで一気に女性ファンが増えたんです。後に自分の音楽CDを出せたときも、このときの女性ファンが買ってくれたんですね。ただ、それまでは男性のファンが多かったんですよ。
でも、異性から同性にファン層が変わると、「憧れの対象」としての振る舞いに変えなきゃいけないですよね。
ファンの層が変わることで求められるパフォーマンスも大きく変わるんだなぁというのは実感しました。
私をアイドルとして見てくださる大きなお友達への対応も、セーラーマーキュリーである私に会いに来てくれる小さなお友達への対応も、真似をしたい対象として憧れを抱いてくれる女の子たちへの対応も、どれも私。なんだけどイメージを崩さないように意識はしていました。
テアトルが「もうひとつの家」になった
それにしても、さっきからサラッとお話しされてますが、体験の幅が広いです。
ちょっと器用貧乏なのかもしれないです。でも楽しいことには、なんでも好奇心が湧いてしまうんです。
もう本当に様々なことをしました。歌番組の司会や、TOKYO FMの『COUNTDOWN JAPAN』というラジオ番組のMCもやらせていただいたり。
すごく華やかなタレント活動ですよね。
ではテアトル時代に、特に楽しかった記憶ってありますか?
ああ、それでいうと……在籍時の後半に、(同じくテアトルアカデミーグループ所属の)脇知弘さんなんかと、いきなりオーディション会場に乗り込んで、お話をする機会をいただけたりしたんです。
これから夢を持って活躍していくタレントの卵たちが、キラキラした目でオーディション会場にいらっしゃるんです。その前で自分の体験談だったり、テアトルで身についたことをお話する機会があって、本当に楽しかったですね。
さっきから華やかな話を、「淡々と」語られるので不思議だったんですが、真っ先に来る楽しかった記憶も、そういうエピソードなんですね。
もちろん、現場の一個一個も楽しい思い出はあるんですよ。でも、私にとって、テアトルはもう一つの「家」だったんです。だから、そういう記憶が私にとって、大事なものですね。
セーラームーンやラブベリーは女子ばかりの団体で、まるで学校みたいな場所なんです。そしたら今度は、そこで起きた出来事をテアトルという「家」に帰宅して、子どもが親に相談するように「どうしようかな?」とアドバイスを貰っていた感じです。
なんだか、すごく楽しそうですね。
はい、全部が楽しかったです。
マネージャーさんが、色々なことを親身になって相談に乗ってくれるので、ついにはプライベートの相談までしてましたもん。他の事務所のマネージャーさんを見ても、「いや、テアトルのマネージャーさんの方が全然いい」と思ってましたから。
当時の担当マネージャーとの思い出
ちなみに差し支えなければお聞きしたいんですが、「プライベートな相談」ってどういったことだったんですか?
初めてできた彼氏と、どうしてもクリスマスを過ごしたかったので、「クリスマスにはスケジュール入れないで」とお願いした、ということですね(笑)。
なんと(笑)。マネージャーさんはビックリしなかったんですか?
私としても、もう言うしかないな……と思って言ってみたんですよ。ただ当時は、まだ少しマネージャーさんとは打ち解けていなくて、勇気がいりましたが。
結局、クリスマスには仕事が入ってしまったんですが、そしたらマネージャーさんが彼氏に電話をかけて説明してくれたんです。
すごい……(笑)。
あんなことを話し合える距離感を作れたのって、本当にすごいなって思いますね。その後は現場でも、ずっとそのマネージャーさんと話していたり、素敵な思い出が多いです。
でも、実はまだ打ち解けていなかった時期にも、マネージャーさんがセーラームーンの現場の方たちとすごく仲良くなって、場を盛り上げてくださっていたんです。
周囲からは、「河辺さんのマネージャーさん、素敵だね」とか「すごい面白くて優しいね」という評判が聞こえてきて、「ふーん」とは思っていたんですよね。
心を許していないなりに、ちょっと誇らしかったわけですね(笑)。
そうなんです。少しずつ心を開いていった記憶がありますね。
念願の歌手活動で感じた「責任の重さ」
というところで、そろそろ歌手になったときのお話を聞きしたいんです。河辺さんはCDを出されていますよね?
そうですね。
やっぱり当時、色々なお仕事をいただきながら……「いつ私は歌手になれるのかな?」 とは思っていました。
そうですよね。それが当初の目的でしたもんね。
ただ目の前の仕事に夢中で、自分を信じて仕事をくださるマネージャーさんや周りの大人の方たち の期待に応えたい、という想いが常にあったので、半ば歌手を諦めかけていた部分もありました。
でも、そこに音楽の仕事を、まさに大人たちが期待して渡してくれた瞬間があったわけですよね。
はい。もう飛び上がるほど嬉しかったです。
当時は、やっとAKBさんが出てきたくらいの頃で、基本的には歌手といえばソロ。実は木村カエラさんと、YUIさんとデビュー時期が近くて、フジテレビの『登竜門』という番組で全員初登場という場面があったのですが、衝撃的でしたね。
フジテレビでブラザートムさんが司会をしていた番組ですよね。そんなすごい場所にいたんですね!
それまでセーラームーンミュージカルなどグループで歌うことに慣れていたので、視聴者さん、スタッフさん全員の注目を浴びながらひとり堂々とセンターで歌っているかっこいい姿を見て、ソロ歌手として人前に立つ事への責任の重さを初めて痛感しました。
トントン拍子に実績を積み重ねてきての、念願の歌手活動のタイミングで……立ち止まって考えざるを得ない時期にきた、と。
「安室ちゃんみたいになりたい!」という信念から始まったのにね。
でも、それまで相当に大きな現場を、それも体当たりで成功させてきたわけですよね。
一番なりたかったのが歌手だったのに、その仕事が一番不安で、一番緊張していたんです。今思うと、それまでにない「自分のための曲」ということに、ものすごく責任を感じたんですね。
ああ……チームの一員として、監督さんなりの方を見ながら仕事をするのとは、また違ったんですね。
アーティストだから、自分で決めなければいけない場面が、どうしても必ず出てくるんです。
さらに初めて自分自身の活動に、オリコンの順位や売上という絶対的な「評価」がついてきた。
もう当時は、学校のテストで0点を取るほうがずっとマシだと思ったし、本当に怖かったです。
うん、わかります。その怖さ。
それまでの仕事って、雑誌やミュージカルのように――「連帯責任」というのも変な言い方だけど――沢山の人と一緒に、一つのものを作る仕事でした。
でも、それは周囲の大人たちに用意してもらった道を、歩いてきただけだった。当時の私には、自分でお客さんに向けて――今風に言えば「セルフプロデュース」をした経験がなかったんですね。
でも、そんな悩みがあったのを聞くのは、意外ですね。河辺さんと同世代で在籍生だった方に聞くと、本当にキラキラと大活躍していてすごかった……という話を聞くんです。
ずっと夢中で仕事をしてきて……あのとき、歌の仕事で初めて壁にぶち当たったんでしょうね。
「え、作品作りって、こんなに大変だったの?」って。夢と現実の違いに直面した瞬間でした。
テアトルアカデミー卒業後の物語
ちなみに、二人は芸能活動の中で、ちょっと自分の殻が破れたような経験ってありました?
もともと病弱で、あまり明るい性格じゃなかったんです。それがクレラップで仕事が増えて、人との関わりが増えるにつれて明るくなれました。
当時はかなりの忙しさで、体調管理も大変だったけど、全然苦じゃなかったですね。
マネージャーさんたちと一緒に過ごす時間も長くて、「もう一個の学校」みたいな意識はなんとなくありましたよね。私は、お芝居そのものが楽しくて、ずっと突っ走っていた感じです。ただ、小学校の高学年くらいから、好きという気持ちと現実のギャップが少しずつ出てきたんです。
たとえば一度、エキストラで呼ばれたので行ったら、目の前で監督さんに「もっと可愛い子にして」と言われたことがあって……。
ええー! そんなに可愛いのに……エグい。
タレント活動には、素敵な思い出のほうが多いんですよ。
ただ、だんだんライバルの人も増えてきて、テアトルのマネージャーさんによく相談していました。そのうちに受験勉強の中で「勉強」の楽しさを知って、普通の学校生活の楽しさも知っていったという感じですね。
私は続けていきたかったんですけど、クレラップのCMが終了した小学校5年生の時に、中学受験をすることになり、親の希望で仕事を減らしていくことになりました。
ただ、それで合格されたのって「雙葉学園」という、都内女子校の名門校ですよね。その合格を聞いて、マネージャーの方から「ぜひ学業を頑張ってください」と伝えられた、と聞きました。
はい、すごくテアトルは応援してくれました。私自身も普通の学園生活を知らなかったので、それを味わえたのはいいことだったのかな、と。
なるほど。入学後は、どうでしたか?
軟式のテニス部に入って、毎日の学校生活を楽しんで、普通の学校でお友達をたくさん作りました。ほんとに、見事に普通です。もう、なんにも話すことがないです(笑)。
なるほど(笑)。
私も高校に入ってからは、もう部活も生徒会活動も行事も全部やりました。友達や先生も面白い人が多くて、そのままエスカレーターで慶應大学に進学した感じです。
二人は今、どんなことをしているのですか?
大学卒業して、社会人二年目になります。
忙しくなってきたんですが、責任を持って頑張りたいと思っています。
というのも在学中に、テアトルのマネージャーさんに、「今の状況は当たり前じゃないんだよ」と言われたことがあるんです。どんどん仕事が忙しくなって、日常みたいになってきたけど、テレビに出られるなんて本当にありがたいことなんだ。だから、頂いた仕事は、最後まで一生懸命やりなさい、と。
小学生でその言葉をもらえる環境って、凄いですね。
特に怒られたりしたわけじゃないんですが(笑)、この言葉は人生の節目節目で思い出します。
もちろん、まだ本当の意味で最後まで責任持って仕事をやりきれてるなんて思わないんですが、なにか途中で辞めると気持ち悪いんです。これは転職とかを否定しているわけじゃなくて、目の前のものを一生懸命にやりきるという意味です。
私はちょうど就職活動を終えて、メディア系の会社に就職することになったところです。
テアトルを辞めたあとも芝居は大好きで、大学でも続けていたのですが……生涯の仕事にするのが不安になってしまって。周囲で劇団と掛け持ちで生きている人たちの熱量を見ると、私にそれができるのだろうか……と。
演劇が好きな人は、みんな就活のタイミングで悩むところですよね。
そういう中で、自分をコンテンツとして売る人生ではなくて、むしろ自分がコンテンツを世に発信する側に回るのはどうだろうか……と思うようになっていきました。それで、今の道をまずは選びました。
でも、テアトルの経験は卒業後、たくさん活かせたんじゃないですか?
人前で発表する時に、緊張を見せないのは得意です(笑)。
あと、時間を守ったり、目上の人にきちんと応対したりなどの基本的な事柄も、特に人から教わる必要のないことでした。
でも、就活なんて最初は落ちまくってました。ただ、殻の破り方を知っていたり、自分を素直に表現する方法も持っていたので、徐々に面接官に自分を伝えられるようになれました。
面接で芸人のマネとかは、しなかったんですか?
抑えた(笑)?
恥ずかしがっちゃいました(笑)。
「自分らしく過ごす時間の大切さ」に気づいた
そして、とても意外な経歴になっているのが河辺さんなのですが……今はピラティスのインストラクターなのですか?
そうですね。さっきの続きを話すと……テアトル卒業後、他の事務所に移籍したあとに21歳で結婚して、23歳で子どもができたんです。そこで、いわゆる「ママタレント」に移行していきました。
ただ、そのときに「耳管開放症」になってしまったんです。
それは、どんな病気なのですか?
自分の「スーハー、スーハー」という呼吸音や声が大音量で耳に響いてくるんです。ストレスや睡眠不足でなる病気なんですが、お医者さんに「規則正しい生活を心がけるしか治す術がない」と告げられてしまって……。
これから新しい道を頑張ろうとしていたら……かなりのショックですよね。
その中で、体調を整えるのに良いと聞いて始めたピラティスが、もうピッタリだったんです。
続けるうちに、なんと症状も消えていってしまい、精神面でも支えられている自分がいました。そういう中で、「自分と同じ苦しみを抱えている人の助けになれたら」と思うようになっていきました。
キラキラした経歴から意外だったのですが、そういう理由でピラティス講師の資格を取られているんですね。
はい。この病気をキッカケに、たくさんのことに気づいたんです。
自分は子役時代から、すごく肩に力を入れて、拳を握りしめて頑張ってきた。それも大事なのですが、もっと身体を緩ませて、自分らしく過ごす時間だって重要です。そのことに、初めて気づきました。
あと、やっぱり私は沢山の人に支えられて、自分をキラキラさせてもらってきたんです。でも――次はキラキラしている人を作っていく側に回りたいな、と考えるようになりました。そういう活動によって、今度は自分自身もキラキラしていきたいな、って。それで、ピラティスインストラクターを志すようになりました。
いわば「裏方」で人を支えることに、意識が向いてきたんですね。
そうしたらある日ピラティスの広告撮影に呼ばれて、その時たまたま取ったポーズがチラシになり、ポスターになり、気が付いたら……(笑)。
会社の看板になっていたと(笑)。モデルの経験が生かされましたね!
そうなんです。テアトルでのお仕事が、ここでも活きたんです!
それをキッカケに、PR・広報としてイベントで司会をしたり、芸能人の方と対談やインタビューをする機会が増えました。台本を読んだり聞き手としての立ち回りなども過去の現場で学ばせていただいたことが活かせたと思います。
そういう意味では、最近またテレビに出演されたりもしているとか……。
そうなんです。これも不思議な経緯で…。俳優の安田顕さんが毎日歩かれる散歩道で私の看板を見られ、「この人のレッスンを受けたい!」とフジテレビのめざましテレビさんを通じてオファーをいただいんたんです。
すごいご縁ですねー!
本当にありがたいことです。少し真面目な話をすると、こういった機会に恵まれたときに失敗を恐れず積極的に行動に移せたのは、芸能界にいたからだと思います。
素直さと謙虚さを大切にすることをテアトルで学ばせていただいたおかげ。どんな世界でも共通して必要なことなのではないでしょうか。
二人もきっと同じようないい影響を受けているはず。
そうですね。
これからの社会人生活で、すごく大きいはずです。
芸能活動を経験して良かったこととは?
そろそろ時間なので、最後にテアトルの在籍生や、これから入ろうかなと思っている人にコメントをいただけますか。
いや、本当にここまで皆さんがおっしゃったとおりです。
自分も礼儀や謙虚な姿勢を学んで、それが他の場所でも活きました。どんな道を選ぶ場合でも、芸能活動の経験は自分にとって凄く大きなものだったなと、今日思いました。
テアトルでは、本人にはわからない自分の魅力や長所を引き出してくれる人が沢山いたんです。レッスンや仕事を一生懸命にやって楽しんでいけば、社会人になっても活かされる経験は多いなと感じています。
好きなことを伸ばしてくださる環境が、ありがたかったですね。
あとは、やっぱり社会に出たときにも、「人間関係を良好に進めていく」コミュニケーション能力を得られたこと。これは、本当に大きかったですね。そのことは今、とても実感しています。
ありがとうございました!
……ということで今回は、テアトルアカデミー卒業生である河辺千恵子さん、外島千夏さん、工藤あかりさんの3人の座談会の様子をお届けしました。
芸能の世界、とくに子役というと一般社会と離れた場所のようにも感じますが、芸能の世界だからこそできた経験が、その後の人生にも、さまざまなかたちで活かすことができるんですね。
この「テアトルロード」では普段はなかなか知る機会のない「芸能」の世界のことや、「表現力」にまつわるノウハウ、そしてテアトルアカデミーの教育に関する情報を発信しています。今後もどんどん更新していくので、ぜひまた見に来てみてください!
文・編集:テアトルロード編集部/写真:中田智章